設立の経緯

リボーンを応援していただく皆様へ

福島との出会いとリボーン設立の経緯

リボーン代表理事 後藤由美子
リボーン所在地 兵庫県神崎郡市川町甘地384 在住

 

2011311日の大震災と福島第一原発事故の衝撃は、本当に大きなものでした。そしてその後の政府の方針が、最も被害を大きく受ける可能性の高い子どもたちを守ろうとしているとは思えず、これ以上の被ばくを回避させようとしないことに、同じだけの衝撃を受けました。


放射能汚染を受けた地域が、福島を超えて関東まで、広大な範囲に及ぶことを知り、たまたま大きな汚染から逃れた西日本にいるものとして、子どもたちの保養活動に協力したいと思い、その年の夏休みに、福島の子どもたち10人を私が住まいする寺院で受け入れました。それ以降、2014年まで春夏冬の長期休みごとの保養(対象は福島以外の方も)を開催し、多くの親子に出遇いました。


保養から故郷に帰ってから、日々被ばく回避の努力をする親子の苦労を見るにつけ、保養だけでは間に合わない思いを持つようになり、子どもを守る裁判支援に力を入れ始めました。大変な苦労の中、裁判の原告となり、社会への問いかけを行う福島の人たちがいるということは、私にとっても希望でした。そして保養に来ていた親子の中からは避難移住を決意される人が現れ、避難移住に対する支援をはじめました。


そのような活動の中で、避難移住のために自らの資産を使ってほしいという、ある方からの申し出を受けました。それは、できる限り早く被ばくから逃れてほしいという被爆者の方の思いのこもった大きなお金でした。願ってもない貴重なサポートを何とか必要な人に手渡したいと思い、避難当事者と福島在住でご家族が避難している方々に協力を依頼し、一般社団法人リボーンの設立を行い、大金を預かり、顔の見える手から手へと広報を始めたのが2016年でした。その頃姫路では空き家を譲り受け、避難移住の下見や保養に使えるよう整備を始めリボーンの拠点とし、避難移住には欠かせない仕事作りも計画しました。


しかしその年度末、福島県からの「自主避難者」への政府の家賃補助が打ち切られることとなり、避難している人は帰還を強く求められ、これから避難移住しようとすることには大きなプレッシャーがかかることとなりました。避難の継続のために家賃の確保が喫緊の課題となり、生活資金の貸与(無利子)の利用があいつぎ、運用資金は大きく減へと動きました。また、運営に当たる避難当事者やその家族は、生活を支える仕事をしながら、子どもたちの教育や病気などの生活の変化にみまわれ、人・資金面で前述の計画もそれ以上進めることができなくなりました。


福島での相談も、避難移住を願いながらもできないことの苦しさを受け止めたり、避難から帰還した人のつながり作り、被ばく防護の情報や安心食材の分け合いなどが中心となって行きました。もちろんそういった被ばく回避を考えるつながりの維持が、子どもたちの体調の変化や、進学などの機会を移住へとつなげる大切な取り組みとなるので、見えにくい地道なことですが、継続すべき重要なことで、会計上には表れない相談や自立への学びも大事な支援として考えています。その時に必要なのは当事者目線であることは、リボーンスタッフが当事者であることから最も大切にしている視点です。


この度、応援カレンダープロジェクトの支援先としていただき、助成金にあてる寄付の確保ができることで、より多くの方へ広報できることを感謝します。限りある貴重な支援を確実に運用するために、顔の見える関係を元に情報発信を行ってまいりました。いまだ充分なことはできていませんし、お金を扱う支援というものが、難しいものであることも理解しております。しかし避難移住やその継続にとって、最も必要であるものの一つがお金であり、最も支援がないのもお金です。それを、先達の被爆者や思いのある多くの方々から受け取るということは、被災の中で生きる力となることは間違いありません。そしてそれがまた、誰かに自分ができることをするという「恩送り」の生き方へと展開されて行くことも、それぞれの人生にとって大切な支えとなることと思います。皆さまからのご支援に、心より感謝申し上げます。

 

ReBorn【リボーン】の由来…

「生まれ変わる」「再生する」という意味のリボーン。 避難し新しい生活を希望する人と それを支えたいと願う人が共に寄り添い紡ぎ出す 結ぶリボンにも託つけて 立場の違う者同士が繋がり結ばれるようにと名付けられました。 リボーンのマスコットになっているアリは、力を合わせてどん どんコミュニティを広げていきます。それぞれ状況は違っても 同じ願いを持った者同士が繋がり、力を合わせて子ども達の未来を築いていきたい...。そんな願いが込められています。